謎のオオ氏を探せ! 2.始祖「神八井耳命」について

耳無山(右)と畝傍山(左)

神八井耳命の伝承

「オオ氏」の始祖は「神八井耳命(カムヤイノミコト)」だが、古事記では「神武天皇」と「大物主」の子である「伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)」の間にできた第二子とされる。日本書紀でも同じ記事が見られるが、第一子の「日子八井命」の名前はない。「神八井耳命」の「神」は美称で、「耳」は「霊霊」で「霊(み)」と同じなので、「八つの井戸の霊」という意味だろう。この「神八井耳命」の古事記における登場シーンは次の通りである。

さて、その伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)の家は、狭井河(さいがわ)のほとりにある。天皇は、その伊須気余理比売のところへいらっしゃって、一晩おやすみになった。…中略… そうして、お生まれになった御子の名は、日子八井命(ヒコヤイノミコト)。次に、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)。次に、神沼河耳命(カムヌナカワミミノミコト)[三柱」。

さて、天皇が奉じられた後に、その三人の御子の異母兄に当たる当芸志美々命(タギシミミノミコト)は、天皇の皇后である伊須気余理比売を娶った時に、その三人の弟を殺そうとたくらんだので、その母君である伊須気余理比売、心を痛め苦しんで、歌によってその御子たちに知らせた。歌っていうには、

狭井河よ 雲立ち渡り 畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かんとす

また、

畝傍山 昼は雲揺ゐ 夕されば 風吹かむとそ 木の葉さやげる

とお歌いになった。

そこで、その御子が、その歌を聞いて計りごとを知り驚いて、すぐさま当芸志美々を殺そうとした時に、神沼河耳命が、その兄の神八井耳命に申し上げるには、「兄上よ、武器を持って入って、当芸志美々を殺せ」と申し上げた。そこで、神八井耳命は、武器を持って入って、殺そうとしたのだが、その時に、手足がふるえて、殺すことができない。それで、その弟の神沼河命は、その兄の持っている武器を受け取って、中に入って当芸志美を殺した。それでまた、その名をたたえて、建沼河耳命というのである。

そうして、神八井耳命が、弟の建沼河耳命に皇位を譲って言うには、「私は、敵を殺すことができませんでした。あなたは、見事に敵を殺すことができました。ですから、私は兄ではあるけれども、天皇となるべきではありません。そういうわけで、あなたが、天皇となって天下を治めてください。私は、あなたを助け身を慎んで神の加護を願う役としてお仕え申しましょう」と言った。さて、その日子八井命は[茨田連・手島連の祖先である]。神八井耳命は[意富臣(おおのおみ)、小子部(ちいさこべ)連・坂合部連・火君(ひのきみ)・大分君・阿蘇君・筑紫三家連・雀部臣・須雀部造・小長谷造・都祁直(つけのあたい)・伊予国造・信濃国造・陸奥磐城国造・常陸那珂国造・長狭国造・伊勢船木直・尾張丹羽臣・島田臣らの祖先である]。神沼河耳命は、天下を治めた。

古事記 小学館「日本古典文学全集 1」口語訳

 このように、「神八井耳命」は弟の「神沼河耳命」(綏靖天皇)に皇位を譲るのである。また日本書紀の皇位譲渡のくだりは次の通りである。

「私はあなたの兄ですが、臆病であって成果をあげることができないでしょう。今あなたはとくに衆にぬきんでて武勇にすぐれていて、自ら大悪人を誅伐された。これからは、あなたが天皇の位に即いて皇祖の業を受け継ぐのが至当です。私はあなたを助けて、天神地祇を方斎いたしましょう」と申し上げた。これはつまり多臣の始祖である。

日本書紀(1) 小学館「日本古典文学全集 2」口語訳

 ここでは、天皇となる弟が「政」を担当し、「オオ氏」の始祖となる兄が「祭」を担当する「祭政」の分離が始まるストーリーになっている。

「大」と「意富」の用法

 「オオ氏」の子孫を自認する「大和書房」の大和岩雄氏は古代史に関する最初の著書「日本古代史試論」の中で、広範かつ掘り下げた「オオ氏論」を展開しているが、その中に「大(オオ)」と「意富(オオ)」の古事記における用法を考察している部分がある。面白いのでポイントを紹介する。

  • 「大」を頭につけた神名・人名は古事記の上・中・下巻にまんべんなくあるが、一方「天」はほとんど神名で、上巻に集中している。
  • 「大」のつく神の特徴は国譲りをした「国つ神」の中でも特に重要な神である。例:大国主神・大穴牟遅神、大物主神、大国御魂神(国の御魂の神)、大宜都比売神(伊勢神宮外宮の豊受大神)
  • 「大」のつく人物は、大体「天皇の御子」で、御子の「大」は「小」または「若」と対をなしている。例:大吉備津日子命(孝霊天皇の皇子、吉備臣の祖)ー若吉備津日子命、大毘古神(孝元天皇の皇子、阿部臣の祖)ー小名日子建猪心命、大俣王(開化天皇の皇子)ー小俣王、大日下王(仁徳天皇の皇子)-若日下王など
  • 「大」のつく皇子を見ると、神名の「大」が国譲りをした側の神についているように、皇位争いに敗れた皇子についている。「大」という字に「一」をのせたのが「天」である。「天」になれなかった皇子が「大」なのであろう。「大」には「天」に対しての悲哀と反逆が含まれている。
  • 古事記には「大」以外に「意富」をつけた人名があるが、この「意富」も「大」と共通している。例:意富美和之大神と意富多多泥古命(国つ神とその祭祀者)、意富那毘、意富阿麻比売(尾張連系で皇位争いに負けている)、意富多牟和気や意富富杼王、意富那毘(越前、近江、尾張勢力が安閑・宣化天皇を立てるが欽明天皇派に敗れる)など
  • 古事記の編者が無意味に「大」や[意富」の字をもちいていないことは明らかである。その古事記の編者が太安万侶であり、「本文」に意富臣と記すのは、それなりきの理由があろう。

 古事記で使われている言葉は「大」であり「意富」である。「大きい、偉大な」という「大」、「豊かと意(おも)う」と書く「意富」。これに対して日本書紀は単に音合わせの「多」と書くのみである。それにしても、古事記では神八井耳命を祖とする 19 もの氏族の名が上がっている。これらが日本各地にある「オオ氏」グループである(なお「国造本紀」では更に数が増えるが、これについては後で述べたい)。

「オオ氏」の始祖となる神八井耳命は「政」ではなく「祭祀」を担当する道を採った。ではその「祭祀」とはどのようなものであったのだろう? では、最初に「オオ氏」の古里とでもいうべきヤマトにある「多神社」をたずねて、この問題について考えて見よう。

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