第一集 香取海を巡る神々

第一集 香取海を巡る神々

香取海を巡る神々 13.香取神宮② 祭神について

「香取神宮」の祭神は「経津主大神(フツヌシノオオカミ)」又の名は「伊波比主命(イハイヌシノミコト)」である。「フツヌシ」は「タケミカヅチ」とともに、国譲り神話で活躍した神である。それがどうして「イハイヌシノミコト」になるのか? 今回はこの問...
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香取海を巡る神々 12.香取神宮① 訪問記

「鹿島神宮」「息栖神社」と廻ってきたが、東国三社巡り最後の「香取神宮」を訪れる。すでに「千葉県ぐるっとウォーキング第 20 回」で書いているが、別立てのブログなので「神宮」のところのみここに取り出しておきたい。 全体の位置は前回の「息栖神社...
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香取海を巡る神々 11.息栖神社

江戸時代に大流行した「東国三社詣」は、利根川沿いの「木下河岸(きおろしかし)」を出発し、船(木下茶船)で「東国三社」を回ったのだそうだ。今でいうバスツアーのようなものだが、江戸中期には人数にすると年間 4700 人、一日あたり 46 人が詣...
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香取海を巡る神々 10.大生神社③ 大生古墳群の発掘調査とタケカシマノミコト

注文していた本が届いた。大場磐雄氏らが執筆した「常陸大生古墳群」だ。「茨城県行方郡潮来町教育委員会」の発行で昭和 46 年の古い本である。インターネットで注文したのだが、わざわざ古本屋まで足を運ばずとも、全国の古書店の蔵書を一覧でき、簡単に...
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香取海を巡る神々 9.大生神社② 「元鹿島」の謎に迫る

「元鹿島」の意味  では、なぜ「元鹿島」と呼ばれるのかについて検討していこう。大和岩雄氏は「大生神社」(「日本の神々 神社と聖地 11 関東」)の中で、「大生神社」と「鹿島神宮」の関係を明らかにする 4 つの資料を紹介している。その資料とは...
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香取海を巡る神々 8.大生神社① 訪問記

「鹿島」から車を走らせ、「北浦」を渡って「潮来」に向かった。目的地は「元鹿島の宮」と称する「大生(おおう・おう)神社」である。「元鹿島」とはいったいどういうことなのか? その事情を知りたいと思う。「大生神社」の所在地は茨城県潮来市大生で、「...
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香取海を巡る神々 7.坂戸・沼尾神社

「坂戸神社」と「沼尾神社」は「鹿島神宮」の「境外摂社」(本社の祭神と縁故の深い神を祀った境外にある神社)である。位置を図 7-1 (汀線=標高 5 m)に示した。「鹿島神宮」の北、「鹿島サッカースタジアム駅」のちょうど西側に「北浦」に突き出...
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香取海を巡る神々 6.鹿島神宮④ 中臣氏の謎

最後に「なぜ鹿島神宮と中臣氏が結びついたのか?」について考えよう。もういちど、「常陸国風土記」の 649 年の「神郡」設置の記述に戻る。大乙上中臣□子・大乙下中臣部兎子等が、総領高向の大夫(まえつぎみ)に願い出て、下総の国の海上(うなかみ)...
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香取海を巡る神々 5.鹿島神宮③ 神宮設置の目的

鹿島は鉄の産地慶雲元年(七○四)に、国の司(つかさ)采女(うねめ)の朝臣が、鍛佐備(かぬちさび)の大麿らを連れて、若松の浜の砂鉄を採って、剣を造った。ここから南、軽野の里の若松の浜に至るまで、三十余里ほど、ここは皆松山である。伏令(まつほど...
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香取海を巡る神々 4.鹿島神宮② 祭神タケミカヅチについて

御祭神は「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とされるが 「鹿島神宮」の祭神は写真の様に「武甕槌大神」である。ところが、この名前が「鹿島」と関係して正史に現れるのは、承和三年(836年)の「続日本後紀」が始めてなのだ。「常陸国鹿島郡従二位...