謎のオオ氏を探せ! 3.多神社① 探訪記

「大和西大寺駅」で近鉄奈良線から「橿原神宮前」行きの橿原線へ乗り換える。2023 年 7 月の暑い朝だった。私は以前「大和西大寺駅」から一駅京都側に行った「平城駅」の近くに住んでいたので土地勘はある。橿原線にも何度も乗った。この路線は「大和西大寺」から「奈良盆地」を南下していく線で、途中に「薬師寺」「唐招提寺」のある「西ノ京」、「郡山城跡」がある「大和郡山」を通り、ヤマト王権のあった中心部へと入っていくのである。「奈良盆地」は、東は笠置山地、西は生駒・金剛山地、南は竜門山地、北は平城山(ならやま)丘陵で囲まれている南北に長い楕円形の盆地であり、「多神社」のある場所はその楕円のまさに中央部分である。ちなみに楕円の北端が「平城京」であり、南端が「明日香」となる。

「笠縫」で電車を降りる。ここで降りるのは初めてだが、つぎの「新ノ口」には奈良県の運転免許センターがあり、免許更新で来たことがある。この「笠縫」だが、『日本書紀』崇神紀には「天照大神」を大和の笠縫邑に遷したと記述がある「笠縫邑」の候補地の一つである。この辺りの住所は「奈良県磯城郡田原本町秦庄」で「秦氏」の居住地があったところであり、駅の北には「秦楽寺」がある。

 地図でみると、駅より南、近鉄線に並行して流れる「寺川」沿いに「多神社一の鳥居」がある。まずそちらに行ってみようと川に沿って歩き始めた。

 「一の鳥居」の前に出る。ここから真っ直ぐ西に歩けば「多神社」に出る(写真1)。逆方向に「三輪山」があるはずと思い、川から東方を臨む(写真2)。多くの建物の向こうになんとかそれらしき山が見えた。川向こうにはかつての「下ツ道」、今は国道 24 号線になっており、いろいろな商業設備が立ち並んで視界の邪魔をしている。

写真1 多神社一の鳥居
写真2 寺川から三輪山方向を臨む

 鳥居をくぐり、集落を抜け進むにつれて周囲に田圃が広がり、時間を遡っていくような錯覚に陥る。南側には大和三山の一つ「畝傍山」が見える。古代はこの辺りは一面が田圃で、邪魔するものは何一つなく、「三輪山」や「畝傍山」が見渡せたのだろう。

写真3 畝傍山

 道の右側に「多神社」の入り口があった。説明板が立っている。神社の正式名称は「多坐弥志理都比古(おおにますみしつりひこ)神社」である。現在の祭神は「神武天皇」「神八井耳命」「神沼河耳命」「姫御神」「太安万侶」となっている。つまり、オオ氏の祖の「神八井耳命」を中心に考えれば、その父の「神武天皇」、弟の「神沼河耳命(綏靖天皇)」、姫御神(神武天皇の母の「玉依姫」とされるのでおばあさん)、そしてオオ氏の代表格の「太安万侶」とオオ氏に関係する人々(神々)を祀る、オオ氏の根本となる神社なのである。正式名称の「多坐弥志理都比古」であるが、「多坐」は場所を表しているのでわかるが、この「弥志理都比古(ミシリツヒコ)」とは何なのか? ちょっと複雑なので、神社の詳細とともに次回考えることにする。

写真4 多神社説明板

 中に入って進むと「二ノ鳥居」があり、その向こうに本殿が見える。かなり大きな神社である。南向きの拝殿まで進み、お詣りした後、右側に廻って本殿を見ようとしたが、残念ながら改修中ですっぽりシートで覆い隠されていた。

写真5 二ノ鳥居
写真6 多神社拝殿
写真8 多神社本殿(改修中)

 本殿がどうなっているのか、田原本町ホームページから写真を拝借してきた。本殿は春日造四棟並列形式であり、「四柱」であることがわかる。「太安万侶」をのぞいた四柱だろう。拝殿が横長だと思っていたが、「四柱」だとうなずける。

多神社本殿(田原本町ホームページ

 説明板には神社の周囲にもいくつか小社があるとのことだった。来る途中に「小杜神社」の名前も見えた。そちらへ回ってみようと神社から出た。神社の西側は「飛鳥川」だ。そして、その向こうに山がきれいに見える。「二上山」である。二つの山が並んでおり、右が「雄岳」左が「雌岳」、二つの山の間が「穴虫峠」である。

写真9 飛鳥川
写真10 二上山

 「小杜(こもり)神社」は「多神社」の南側、道を隔ててすぐのこんもりした「杜」の中にある。現在の祭神は「太安万侶」である。延喜式の神名帳では、この「小杜神社」をはじめ、「皇子神命(すめみこがみのみこと)神社」「姫皇子命(ひめみこのみこと)神社」「屋就(やつき)神命神社」を「多神社」の御子神とする。御子神が四社とも式内社であることは例がないと大和岩雄氏は「日本の神々4 大和」の中で書いている。また、「御子神を『皇子神』と記すことも異例である。『皇(すめら)』という表記は天皇家(とくに皇祖)にかかわる場合の表記であり、『延喜式』では、このような名の神社が他には見当たらない」という。

写真11 小杜神社

 写真12 がその「皇子神命神社」であるが、何か「社」という雰囲気である。その前に置かれたブロックがちょっと寂しい。大和氏は、祭神を天孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」としている。

写真12 皇子神命神社

 「皇子神命神社」と対をなす「姫皇子命神社」はちょっと離れたところにあり、「皇子神命神社」に比べて鳥居も拝殿もあり立派である。それもそのはずで、この多部落の氏神になっているのだそうだ。拝殿はなにか集会所風である。大和氏は「多神社」と他の御子神が南向きであるのに、この神社だけが東面しているのは、「日光に感精して日の御子を生む日女(ヒルメ)伝承と無縁ではない」とする。この点については次回詳しく述べよう。写真 15 に本殿の画像を載せたが、意外なのは「千木」が外削ぎであることである。「ヒメミコ」なので「女神」だと思うのだが、なぜか「千木」は「男神」を指している。なお鰹木は2本で偶数なので、そちらからいうと「女神」になる(参考)。

写真13 姫皇子命神社
写真14 姫皇子命神社拝殿
写真15 姫皇子命神社本殿
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