香取海を巡る神々 2.香取海の地図

 古代における「香取海」の姿を知りたい。さまざまな本に「縄文時代の地図」が出ているのだが、絵がおおまかなために、現在の地図と重ね合わせができない。それに「香取海」周辺の神社を訪ねようという場合、さすがに「縄文時代の地図」では古すぎる。「それが作られた時代」、つまり「古墳時代」から「飛鳥・奈良時代」の地図が欲しい。ところがそういう地図は探してもなかなか出てこない。地図がないなら、作ってやれと考えた。「縄文海進の地図」に関しては、ネットで作り方を公開している。それを参考にしながら、「古代の香取海の地図」を作ってみた。まず、その話から始めたい。

「地図アプリ」が必要だ。温暖化によって海面上昇があったのだがら、その状況を再現するには、汀線(海岸線)を標高のより高いところに設定すればよい。だから、標高によって色分けできる機能を持つアプリが必要となる。Google Map でも良いのだが、標高を取得する API が従量課金制のようだ。そこで「国土地理院」の「地理院地図」の登場である。「自分で作る色別標高図で縄文海進を再現」とTwitter で宣伝しているのだからうってつけである。「縄文海進 地理院地図」で検索すれば、「地理院地図」を用いて「縄文海進」を再現した例がいくつもでてくる。

縄文時代の地図の再現

「縄文時代の地図」を作るのは比較的簡単である。「貝塚の分布」と照らし合わせてみればよいのだ。貝塚の位置情報は「奈良県文化財研究所」の「文化財総覧WebGIS」から入手出来る。これで欲しい場所の県名をクリックし、さらに「貝塚」「縄文時代」と指定してやればよい。貝塚の場所が地図上に現れ、クリックすれば詳細情報が得られる。これをもとに「名称」「緯度」「経度」の一覧表を CSV 形式で作っておき、「地理院地図」に読み込ませれば、図 2-1 のように地図に貝塚の位置(赤丸)がプロットされる。一見して分かるように、ずいぶん内陸に分布している。

図2-1 貝塚の分布

 つぎに「自分で作る識別標高線」を導入する。カラーパターン選択を設定し、一番上を水色にし、他も標高に応じて色分けする(図2-2)。

図2-2 自分で作る識別標高線を導入

では、汀線の標高をいろいろ変えて変化をみてみよう。下の地図が見やすいように透過度をに 40 % あたりに設定し、拡大図で検討した。汀線を標高を 5 m とした場合(図 2-3)、かなりの貝塚が海のへりまで来たが、内陸部にあるものがまだ残っている。例えば龍ケ崎市や牛久市では谷がまだ十分発達しておらず、内陸になってしまっている。標高を 10 m にすると(図 2-4)、陸が減って谷が内陸まで食い込んで「おぼれ谷」となり、貝塚近くまで海が侵入するようになる。15 m (図 2-5)ではさらに陸が減り、「おぼれ谷」が一層顕著になるが、貝塚が海のなかに入るところもあり、やり過ぎである。10 m 辺りが上手く表現できていると思う。

図2-3 貝塚の分布 汀線=標高5m
図2-4 貝塚の分布 汀線=標高 10 m
図2-5 貝塚の分布 汀線=標高 15 m

 縄文時代の海面上昇は 2 ~ 3 mと言われている。しかし、貝塚の位置から汀線を推定すると、標高をより大きな 10 m 程度にする必要がある。これはどういうことか? 地盤隆起や沖積層への土砂の堆積など、さまざまな現象が関係していると思われる。小田原市羽根尾貝塚では標高 22 メートルの高所から縄文前期の汀線が確認されているとのことで、「もはや一律の海水準変動で貝塚分布を説明することはできなくなっている」らしい(Wikipedia)。今回の検討でも、場所によって標高設定を変えた方がよいと思われる。

図2-6 貝塚の分布 汀線=標高 10 m

 図 2-6 は海面の標高を 10 m とした縄文時代の「香取の海」の姿である。利根川の河口は大きく口を開き、神栖市知手のあたりだけが島になっている。南の旭市は海の中である。「常陸利根川」「霞ヶ浦」「北浦」「印旛沼」は繋がって広大な内海が生まれている。

古墳時代の地図の再現

 つぎに古墳時代の「香取海」を再現してみよう。これには古墳の分布を使うのだが、古墳が作られた時代も古墳時代前期(3 ~ 4 世紀)、中期(4 ~ 5 世紀)、後期(5 ~ 6 世紀)、飛鳥時代(7世紀)まである。数を減らすために「前方後円墳」に絞ったのだが、「三ノ分目大塚山」は中期の始めだし、「龍角寺」だと後期~飛鳥時代となる。かなり年代の幅がある分布図にはなってしまうが、「縄文時代」の年代幅に比べればはるかに狭い。

 同じく、「文化財総覧WebGIS」に「県名」「古墳」「古墳時代」と指定し、主な遺構に「前方後円墳」と記入する。得られた地図から「名称」「緯度」「経度」の一覧表を CSV 形式で作り、「地理院地図」に読み込ませれる。青丸が「前方後円墳」である。

 さきほどの汀線=標高 10 m (図 2-7)から始めよう。これだと「三ノ分目古墳」(赤の囲み)は海の中である。標高 5 m(図 2-8)だとかろうじて陸地となるが、場所によっては水没する。標高 3 m(図 2-9)とすると完全に陸域に入る。

図2-7 前方後円墳の分布 汀線=標高 10 m
図2-8 前方後円墳の分布 汀線=標高 5 m
図2-9 前方後円墳の分布 汀線=標高 3 m

 3 m にすればよさそうだが、これはこれで問題がある。より広域で見たのが次の図 2-10 である。旭市のあたりは、江戸時代までは「椿海」という湖(ラグーン)があり、埋め立てされて現在に至っている。その名残で現在内陸を走る総武本線に「干潟」という駅名が残っている。この「椿海」が 3 m では表現できていない。5 m にすると「椿海」がはっきりと表れる(図 2-11)。

図2-10 前方後円墳の分布 汀線=標高 3 m
図2-11 前方後円墳の分布 汀線=標高 5 m

 おそらく地面の隆起の程度が場所によって違うのだろう。一律に決めるのには無理があるので、デフォルトは 5 m としておき、場所に合わせて古墳分布と合わせながら変えていこうと思う。

 最後に「主な神社の分布」を重ね合わせてみた(図 2-12)。神社は舌の様に突き出た岬の突端や根元の海岸近くに存在していることが分かる。「息栖(いきす)神社」は海の中だが、これは後世に今の場所に移されたことが分かっている。では、この地図を持って、これから「香取海を巡る神々」を訪ねる旅に出かけよう。

図2-12 香取海を巡る神社と古墳 汀線=標高 5 m
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