香取海を巡る神々 1.はじめに

 千葉県の北部、茨城県との境に「利根川」が流れている。群馬県の「大水上山」を源とする 300 km を越える大河なので、より正確に位置を示すために「常陸(ひたち)利根川」と名づけられている。江戸時代、水運航路の整備のために、「常陸川」を「利根川」「江戸川」とつなぐ「利根川東遷」の大工事がなされた。これによって銚子から江戸までの水上ルートができ、高瀬舟によって様々な物資が運ばれていた。この「常陸利根川」は水郷地域を通っている。川の北部には「霞ヶ浦」「北浦」があり、そこには広大な田園地帯が広がっている。そして、この常陸利根川の周辺には多くの神社が建てられいるのだ。

 その代表格が「鹿島神宮」と「香取神宮」である。新谷尚紀氏の「神社の起源と歴史」によれば、「神社」という言葉は漢語であり、使われるようになったのは 8 世紀の奈良朝以降とのこと。それ以前はというと、「古事記」では、神の坐すところとして、岩屋戸、舎、宮、社を用いており、「これらが古い言葉であったと考えられる」としている。このうち「宮」は「大和王権によって重要と位置づけられた神の宮という意味であり、もう一つには歴代の天皇の住む建物、それに関連して皇后をはじめ皇族の住む建物という意味、の二つがあったことになり」、それに対して「社」は「自然の神、神霊をまつる場所、もしくは建物という意味で用いられていたと考えられる」とある。

 また、「神社本庁」のホームページよれば、「神宮」の社号を付されている神社には、皇祖をお祀りしている「霧島神宮」や「鹿児島神宮」、また天皇をお祀りしている「平安神宮」や「明治神宮」などがあり、このほか、「石上神宮」や「鹿島神宮」「香取神宮」など特定の神社に限られている。つまり、皇室関係の宮ではない特別な「宮」、つまり「大和(ヤマト)王権」にとって重要な「宮」がこの地域にあるのである。それも 2 つも! これはいったいどういうことなのだろうか? 「ヤマト王権」から遠く離れたこの関東の地になぜ「神宮」が必要だったのだろうか? 

 図 1 を見ていただきたい。これは現在の地図で標高5m 以下を海としたときの状況である。古代、地球温暖化によって海面が上昇していたことが分かっている。常陸利根川がある場所は「海」、それも「霞ケ浦」や「北浦」も飲み込む広大な海となっている。この常陸・下総(しもうさ)の地域は、古代、「香取海(かとりのうみ)」と呼ばれる広大な内海が広がっていたのである。図1 の 赤丸は神社である。現在ではこれらの神社はかなり内陸に位置しているが、古代の地図では、海のヘリにあったことがわかる。「鹿島神宮」と「香取神宮」は、現在では遠く離れているように思われる。しかし、古代には「香取海」を隔てて対面していたのだ。


図1 香取海を巡る神社

「神々の坐すところ」の第一集では、これらの香取海を巡る神社を訪ねてみよう。そして、それらの神社の由来を知り、そこに神社がある意味を考えてみる。そうすることで、古代、この地で何が起きていたのかが分かるかもしれない。

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